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常設企画展示1  

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柿右衛門とは

柿右衛門の作品には上手物(ジョウテモノ)といわれる鍋島藩献上品とそれ以外の下手物(ゲテモノ)が有ります。

上手物(ジョウテモノ)は初代~4代までは金彩を施された、赤絵金襴手(初代が開発)や金彩錦、金彩色染付が有名で、どれもとても緻密で、絵付けの上下等の方向性は原則有りません。しかし、5代は絵付けが下手だったせいで、鍋島藩は買い入れを停止しました。よって、6代途中までは、下手物しか存在しません。6代から7代の享保の改革の贅沢禁止令が出るまでは豪華な金彩が使われていましたが、それ以後、藩の御庭焼きの鍋島焼と同様原則金彩は使われなくなり、上手物の殆どが鍋島藩からの依頼の柿鍋と言われる鍋島焼のコピーを作ることになります。

下手物(ゲテモノ)は初代が始めた濁し手が有名です。白い釉薬を施すことで品質の悪い磁器を白く見せた濁し手は下品だったため、鍋島藩は献上品に対して使用は認めませんでした。しかも下手物のため豪華な金彩は原則ありません。これが現在の柿右衛門風の濁し手の始まりです。ただし濁し手はあくまで下手物でしたので、原則、柿右衛門窯も窯印「角渦福」は付けませんでした。その後需要が無くなり下手物の殆どが染付か陽刻染付になります。しかし海外輸出用の中の中央に空間を施した盆栽図柄はマイセンや当時の中国磁器にも影響を与えました。そのため、一度は途絶えた濁し手技法が近代見直され、13代14代によって再現されました。

但し、柿右衛門窯の柿右衛門は12代までで、それまで柿右衛門はデザイナー集団で一人を限定出来ませんでした。13代14代および現在の15代は、それぞれ一人の作家であり、また柿右衛門窯とも関係が有りません。よってその意味では、12代までが柿右衛門と言えるのかもしれません。

こんな変遷が分かる柿右衛門の展示が今日から風庵で始まりました。

写真は、酒井田柿右衛門のコーナー
1段目右の蓋物は13代柿右衛門の濁し手再現品の下手物
その他1段2段目は初代~4代柿右衛門の上手物
最下段左は贅沢禁止令前の7代柿右衛門の下手物琉璃釉金彩染付
最下段右は贅沢禁止令後の7代柿右衛門の下手物彩染付


 

以上は、企画主催の服部知彦氏FBより転載させていただきました。

https://www.facebook.com/tomohiko.hattori.77/posts/380631198813200?pnref=story